こんにちは。サラリーマン武道家のまさぴんです。
いきなりですがRASって知ってますか??
人間は脳みそがパンクしない様に、日頃見ている視界の9割以上はスルーしているらしいです。人間は脳の5%しか使っていないとも言われてますよね。しかし、自分に必要な情報や自分が興味関心を持っている情報は見落とさないということを示すのがRAS: Reticular Activating Systemと言うらしいです。興味のある方はググってみてください!
僕の場合、 例えば 、、、
妻が妊娠した後から、やたら町に妊婦さんが増えた
子どもが出来てから、やたら町に親子連れが増えた
ドラクエ6を久々にプレーし始めたら、電車でドラクエ6をプレーしている人を何度か見かけた
、、、という経験がありますが、当然ながら、いきなり世の中の妊婦さんや親子連れ、ドラクエファンが増えたわけではありません。前から僕の視界に入っていたけど見過ごしていた人達を、スルーせず捉える様になったということです。
自分が意識を向けている事に関しては、しっかりとその情報をキャッチできるようになっているということですね。この人間に備わっている能力をもっと意図的に使えれば、もっと自分の可能性を引き出せると思いませんか??
■「強さ」って何?
武道をやっている人に「何で武道をやっているの?」と聞くと、大抵は「強くなりたいから」という答えが返ってくることが多いです。
でも、そもそも「強さ」という言葉自体が曖昧なものですよね。
一口に強さといっても色々あって、、、
朝倉未来的な喧嘩の強さ?
アスリート的な競技試合の強さ?
道場内で誰にでも技を掛けられるようになる強さ?
上司に詰められても動じない精神的な強さ?
等など、細かく見れば星の数ほど定義が出来ると思います。
ただ漠然と「強くなりたい」と思っていると、修練の取り組み方も「何となく」になるし、当然、得られる結果も中途半端なものになってしまいます。そもそも武道自体が自分の目的達成の手段として適切ではないかもしれません。
■喧嘩に最適な格闘技は?
もし「喧嘩が強くなりたい」のであれば、そもそも武道ではなくボクシングや総合格闘技をやった方が、スピーディに強くなれると個人的には思います。
理由としてはザっと以下が挙げられます。
・試合が自由攻防であり、より喧嘩に近い
→約束稽古や型稽古が中心の武道よりも、喧嘩に即応用できるポイントが多い
・試合で強い弱いが明確になる点でごまかしが効かない
→試合がない武道は、実力を定量化、可視化しにくく、エセや老害が多くなりがち
・競技のメジャー度から、学べる場が多く、本や動画などで技術情報も手に入りやすい
→武道は学べる場はあるが、エセ指導者、エセ情報が多いという弊害がある
・学んでいる人も多く、切磋琢磨できる環境が整っている
→武道はマイナー団体が点在しているので、同門の競技人口はかなり少なくなる
もっと極端な話をすれば、「喧嘩に強くなりたい」のであれば、花山薫や工藤優作の様なプロの喧嘩師に弟子入りするのが一番確実かつスピーディかもしれません。リアルな所で言えば朝倉未来に弟子入りするのが確実でしょう。
■では、なぜ武道をやるのか?
武道をやっている人は、「強くなりたい」という想いとは別に以下の様な想いを持っている人が多いと思います。ただ、自分の想いを明確に言語化していないため、ただ漠然と「強くなりたい」と発言しているのだと推測してます。僕自身そうだったので、、、
・中国拳法や合気道に見られる神秘的な技術への探求心
・武道の型に見られる技の美しさへの憧れ
・武道の精神への憧れ(バガボンドの読み過ぎ)
・達人の佇まいへの憧れ(カンフ―映画の見過ぎ)
・武道の成り立ち、歴史への興味(拳児の読み過ぎ)
ちなみに上記は全部僕の事です。
むしろ強さへの興味よりもこれらの想いの方が強いくらいなので、僕の場合はボクシングではなく武道をやるべきですよね。
修練の取り組み方としても「強さ」に拘るよりも、「技の質」や「精神的な成長」に重きを置いて修練するべきと言えます。
このように、自分がそれをやることの意義を明確にすれば、自分が何をすべきかが明確になります。そこに加えて、先述したRASも相まって、どんどん必要な情報が集まり、成長のサイクルが加速していきますね。
■サラリーマン社会における惰性文化
武道に限らず私生活で目的や意義を明確にせずに、惰性でやっている事って意外にあると思うんですが、サラリーマンってその代表だと確信してます。
例えば、、、
・朝9時に満員電車で出勤する
・昼12時~13時に激混みな中ランチを取る
・直接業務に関係なくても常にスーツを着る
・やることそのものが目的になっている会議
・テレワークができるのに継続する出社文化
・残業が多い方が偉いという昭和の空気(もう令和やで)
これらは僕自身、漠然とサラリーマン生活を続けていた頃は気になりませんでした。しかし、なぜそれをやるのか?何のためにやるのか?という本質にピントを合わせる様になってからは、不合理なことが多すぎてサラリーマン組織に耐えられなくなっていきました。
そして、「人生で何をしたいか」を意識しだし、自分の人生について、初めて本気で考えだしました。 (今は未だサラリーマン継続中なので色々キツイですが汗)
日常から、なぜそれをやるのか、それをやることの意味は何か?を考える習慣をつけていくと、その延長で自分はどう生きるか?という自分の人生に対する問いが生まれるのかもしれません。
あなたはボクシングをやりますか?それとも武道をやりますか?
あなたは会社員をやりますか?それとも独立しますか?
何が正解ということはありませんが、自分がした選択に対して、自分なりの意義、根拠を持つことで、人生が変わっていくと思います!
惰性で流されて生きるのではなく、自分の意志を明確に建てて、自分で人生を切り開いていきましょう!