こんちには、まさぴんです。
「百聞は一見に如かず」ということわざをご存知でしょうか?
百回聞くより、一回見た方が早いという有名なことわざですよね。
それでは
「百見は一触に如かず」という言葉を聞いた事はありますでしょうか?
武道関係の書籍でたまにこのような表現が使われていますが、文字通り、百回見るより、一回触れた方が早いという意味の言葉となります。
■達人によるエセパフォーマンスを見たことはありますか?
合気道や古武道などの達人が、襲い掛かる多数の弟子たちをホイホイ投げ飛ばしたり、少し触れただけで、相手を吹っ飛ばしたりする演武を誰でも一度は見たことが有るかと思いますが、それを「嘘くさっ!やらせだ!」と思ったことはありませんか?
僕は元々そういう演武を「やらせ!エセ!」と敬遠していましたし、そんな達人なんて世の中に居ないと思っていました。
しかし、見てるだけではなく、実際に達人技を掛けてもらったことで、その見方がひっくり返ったことが有りました。
その達人とは空手で有名な宇城憲治さんです。
■達人技を掛けてもらうに至った経緯
僕が宇城さんを知ったのは、格闘漫画の「バキ」がきっかけでした。
「バキ」の作者である板垣恵介さんが、色々な武道の達人にインタビューしていくという企画があり、その内の一人が宇城さんで、その記事内容から「この人は本物かもしれない」と思わされ、まずDVD等で映像を見てみました。
映像では絵に描いた様な達人技を次々と披露されており、「自分もこの人の技を受けてみたい!」と思い、今度は、一般向けに開催している演武会に行ってみることにしました。
演武会は、弟子だけでなく、当日居合わせた観客にも「技を掛けて欲しい人?」と聞いて、挙手した人にどんどん技を掛けていく形で進行されていき、誰が相手でも一切の失敗がなく、まさに本物という感じがしました。
自分も当然技を掛けてもらったのですが、その流れは↓こんな感じです。
- 僕が仰向けに寝そべります。
- 僕が右手を上へ差しだします
- 僕の右手に宇城さんの右手が軽く触れます。本当に軽く触れる程度でした。
- その状態から僕が起き上がろうとします。
- そうすると手は軽くしか触れていないのに、なぜかお腹に力が入らず、起き上がれないという状況になりました。
僕が受けることができた技はこの1点だけでしたが、この1点だけでも、かなり強烈な体験となり、この人の技は本物だと確信が持てました。
■疑いから確信への変遷
この一件における僕の行動と心境は以下の様な変遷をたどりました。
①バキ (きっかけ:興味)
②板垣恵介さんの達人インタビューを読む (百聞:疑い)
③宇城さんの演武動画を見る (百見:半信半疑)
④演武会で技を実際に受ける (一触:確信)
バキをきっかけに「百聞」→「百見」→「一触」と経験したわけですが、僕の心境は「疑い」→「半信半疑」→「確信」と変わっていきましたし、特に最後の「一触」が決定打になりました。
元々、この世に達人なんていないと思っていた自分が、達人は実在することを確信し、さらには自分もその達人を目指すに至ったわけです。 途中の「百聞」や「百見」の段階で、偽物と決めつけてしまえば、そんな心境の変化も得られなかったかもしれません。
あなたは「百聞」や「百見」だけで判断していることはありませんか?
「一触」は出来ていますか?
■「百聞」主流の時代から、「百見」主流の時代へ
インターネットが普及していなくて、Youtubeで動画を見るということも出来なかった時代は、それこそ書籍や口コミなどの「百聞」に相当する情報が主流だったと思います。
しかし、今の時代はインターネットの発達で、スマホ片手に、好きなミュージシャンのライブを見たり、行ってみたい外国の映像を見たり、好きなお笑いを見たり、、、と個々人が見たい映像を手軽に見れる様になりました。
動画を見ることが当たり前である今、「百見」が主流の時代になったのかと思います。
情報が手軽に一瞬で手に入る時代だからこそ、それが、どういう質の情報なのか、「聞」なのか「見」なのか「触」なのか、しっかり見極める事は大切かと思います。特に「一見」しただけで、全てを理解した気になってしまうということには注意が必要かと思います。
こんな時代だからこそ「百見は一触に如かず」という言葉を大事にしていきませんか!?